雑感

2009年4月26日 日常
雑感
雑感
雑感
東京歩きの途中で、スズランを見た。
久しぶり。
彼は、「毒があるから花畑で眠っても死んじゃうとかって聞いたよ」
という。
おかしいなぁ、スズラン狩りにも行ったことがあるし
スズランの香水というのも子供の頃もらった。
お花畑でってことは、香りが毒ってことだろうけど
それなら、香水なんか売ってたはずがないな。

そうはいっても、スズランの毒は強い。花や根。
活けていた水を飲んだらキケン。
香水も、昔コドモだったけど、つけるときには注意した。
何がどう危ないのかわからなかったから。
毒をつける、ということが、逆に印象に残ったのかもしれない。

スズランは私に子供の頃いた昔の北海道を思い出させる。
5月1日はスズランの日、とウィキに書いてあったが
そんなの知らなかった。
町おこし・村おこしで利用したらよかったのにw
・・・GWだしねw


稲荷めぐりでは、山手線内はほぼ8割を制覇した。
どんな地図でも載っていそうな大きな神社から
地図にも載っていない小さな小さな祠まで、出来る限り
見て回った。
名前を知ることが出来たらそれも記録した。

お江戸の稲荷は庶民信仰のものなので
公的に残されることが少ない。
あくまでも町内会が頑張って残している状況だ。
信仰の自由ということで、稲荷なんかなくしちゃえ
というヒトもかなりいるだろう。
でも、もはや信仰の対象ではあるけれど、その地域の
遺産といえるような気がする。

何でも壊して新しいものを作ればいいってものじゃない。
古いものを今から作ってもそれはしょせん違う。

内需拡大

2009年4月25日 日常
タイトルは経済分野だけど、内容はほとんど日常と過去の話。


朝から雨で午後はもっとひどくなると天気予報はいう。
それならば、久しぶりにまったりとしてみようか、
と借りてきていたDVDを観た。

ばぶるへごー。

・・・まゆげ、ふとっ

恐らくは35歳以上、特に40代前半には
たまらない映画かもしれない。
彼と私も大笑いして観た。
昔を知らない若者には笑いどころがわからない映画だろう。

ただ。二人とも当時六本木に行ける距離ではなかったし
まして私はド田舎に住んでいたから、あくまでもTVで観た
風景という程度だ。
この映画を本当に楽しめるのは、当時六本木で遊んでいた
世代の人たちなんだろう。

彼は京都でバブルを堪能していたけれど、私はせいぜい
カラオケで遊んだ程度。堪能には程遠い。
あっしー君もめっしー君も、実物にはお目にかかったことはないし
パーティーとやらにも縁はなかった。
・・・私なにやっていたっけ。

彼は、家庭教師というアルバイトだけで、たぶん
今の新卒どころか当時の彼の親よりも稼いでいたらしい。
自宅には眠りに戻るだけで、京都の花街も友人のつてで
行った事もあるようだ。

さすがに私には、あまり詳しくは語らないがw
その時代のヒトらしくかなり遊んでいたのだろう
と想像はつく。
どうも、私は世間とずれているようで、ピンとこない。
確かにTVではそういうドラマをやっていて、そういう遊び呆けている
人たちを雑誌で読むことはあっても、見回しても私の周囲には
ただのふつーのヒトしかいなかった。

田舎の人間の私の遊びはせいぜい、週に3~4日カラオケで
飲んで騒ぐ程度だった。
メンバーも変わらないし、歌も限られてるのに
バブルらしく、騒ぐのが楽しかったのだろう。
まぁかわいいもんだw

彼は、せっかくこの時代に生きた日本人なら、あのバブルを
体験しなかったのはもったいなかったと思うよ、という。
そうね、後から思い起こせば、町内のある商店がいきなり
コンクリート打ちっぱなしの(それでも)4階建てのビルを建てて
話題になったけど、バブル崩壊とともにそのお店がなくなったっけ。
そんな程度だった。
私も、もっとバブルを堪能したかったぞ~~!!ww

でも、
一つだけいえる。
あれが内需、というものだ。
今、日本の内需を増やそうとしたら、あれしかないw
1.6倍の消費をしたなら(所得も1.6倍という仮定でw)
麻生さんの目論見も上手くいくだろう。
ばぶる、またやりますか?・・・ってかどうやって?w

当時、私はクビになっても何の不安もなかった。
また働けばいいだけ、と思えたから。
どうにかなる、と思えたから。
海外旅行にもブランド物にも興味がなく、かといって
高給取りでもなかったけれど、それでも不安がなかった。
金利は高かったけれど貯蓄には興味はなくw
だからたぶん遊べた。
くだらない遊びを、低所得の国民も含めてみんなでできちゃったから
あの一瞬だけ、内需が伸びたんだろう。

今、みんな酔いがさめちゃったものね。
再び酔わせることができるのだろうか。
そうじゃなくちゃ、内需拡大なんて、
どの政権でも、何年たっても無理だと思う。
以前にも書いたけれど、いまだに私はこの制度の不備ゆえに
反対だ。

制度導入の理由が、一般市民の感覚を取り入れたい
というのなら、かなりへんな話だ。
法律で裁かれるもので、感情で裁かれるものではない。
時代に合わないから変える、というのなら、
法律を変えるべきだ。
裁判をする人間を素人に変えてどうする?w

私たちは税金でプロの裁判官を雇っているのに
なぜ素人が裁判しなくてはならないのか?
それほどまでに、プロの技量が落ちているというのだろうか。

それでも、裁判員制度自体を全面否定するわけじゃない。
日本という国の過去からの流れを考えれば、いきなり
素人に死刑判決の裁判をさせるから、おかしいのだ。
日本では、市民による裁判という歴史が育っていない。
なんでも歴史は必要だ。
まずは、市民が軽微な犯罪の判決をする、というところから
始めるのが筋だろう。

裁判にかかる時間を短くするため、というのなら
素人の参加はその逆を意味する。
理解しにくい特殊な内容を、全くの素人が読んで
早くなるはずがない。
しかもヒトの生死を決める、なんて、プロよりも
もっと時間がかかるはずなのだから。
素人の参加が「時間短縮」につながる、と考える人たちは
素人はどうせ何もわからないのだから、こっちのいいなりに
なるだろう、と踏んだってことなんだろう。
いい加減な裁判を増やそうとしているのか?

それから、サンプロ(TV報道)によると、
過去、冤罪がかなり多かったことを思い知らされる。
今回の裁判員制度でも、取調べの録画は全部が提出されるわけじゃない。
一部だけの切り取りでは、本当の意味は隠され、逆の意味にも
受け取れる場合もある。
録画は、検察に有利に利用されやすい状況だ。
なぜ全部を提出できないのか。やましいことがあるのか?

裁判員制度を昔からやっている米国では、すべての証拠のリスト
提出を義務付けられている。
でも、日本ではコピーすらできなかったり、そもそも
証拠の提出を拒まれたりする。
そんな検察の大きな権力の前に、素人の裁判員は
何ができるのだろう?

感情では、犯罪が許せない、と思って極刑を望むかもしれない。
でも、問題なのは、その対象が、本当にその人なんですか?
ということだ。
田舎モノと都ビト
田舎モノと都ビト
ある都会の○○銀座と言われる通りでのこと。
銀座とは名がついているけれど、銀座ではなく
歩く人が多い、という表現がぴったり。

この半ホコテンの場所に、一台のオープンカーが
進入しようとしていた。
助手席には、ぐっすり眠ったオネーチャン。

「入ってくるの?」
「入るみたいよ。」
あちこちからそんな声が聞こえた。
私も歩行者だったから、同じ気持ちではあった。

そんなとき、前の親子の会話が聞こえた。
子「(この車、この通りに)入ってくるの?」
親「入るみたいね。・・・田舎モンだもの。」

ナンバーは高岡ナンバー。
・・・ってどこ?

とにかく彼はこの会話を聞いて、大笑いをするのをこらえていた。

しばらくして、ようやく笑いが落ち着いた彼が言った。

「もう~、一刀両断だったなぁ~、あのおばはん(親)。」

私は田舎モンなので、オープンカーの彼らの気持ちがわからなくもない。
田舎モンには、どこかに行くとしたら、車以外の交通手段はないのだ。
でも、何かで読んで知って来たのなら、ここは歩く場所だ
ということまで読んで来るべきだったかもね。
そもそも○○銀座なんて、歩いて楽しむところで、
車で乗って見るもんじゃない。
そもそも助手席のカノジョは寝てたしw

業務用と住人以外は、こんな場所を車で走ってはいけない
という暗黙のルールが都会にはあるのだ。

たぶん、田舎モンは歩かず、都ビトの方がよく歩く。
これは経験上、間違いがない。

*******

歩いていたときにみつけた見知らぬ靴屋さんで彼はクツを買った。
それほど高くないリーズナブルなウォーキング用のもの。
そこで、一緒にいた私に、そこのおかみが言った。
「奥さんはいいクツを履いてますね。」
・・・これには彼も私もまいった。
それぞれ違う意味でだろうけど。

彼は、自分が今履いているクツや買ったクツが安物である
と指摘されたようで、たぶん面白くなかったのだろう。
「商売の基本として、ああいうことは言っちゃダメだな。」

私は彼とは違う見方だ。
自分は高いクツを履いているのに、旦那さんには安物を勧めた
ように思われたんだろうな、と赤面した。
そういう意味でも、やはり商売人なら、
お客としては触れて欲しくない事柄だった。

私たちはそもそも夫婦じゃないし。
選ぶのは完全に本人の希望によるものだし口を出さない。

まぁ、私はクツにはこだわるが、彼はクツは安ければいい
と思う人なのは確かだ。
でも、やはり、指摘されて嬉しい状況のものではないなw
言われなければ気にならなかったのに。

ただ、このクツ選び、今まで彼が選ぶのにかけた時間の中で最短だった。
どうやら履き心地は良いらしい。

矛盾

2009年4月12日 経済など
矛盾
矛盾
矛盾
写真1 狛犬でも狛狐でもなく、狛鳩w
写真2 銀座のホコテンを楽しそうに散歩していたわんちゃん
    飼い主さんが見失わないように?w青い風船をつけていた
写真3 地下通路の居住者たち。


桜を追いかける休日から、少しずつ稲荷めぐりへとシフトしつつある。
それでも、お弁当を買って、ある公園でほんの少し八重桜の花見を
楽しんだ。恐らく今年はこれが最後の桜・・・たぶんw


今回の経済対策における政府の態度は、予想を超えていて評価したい。
毅然とした態度、これがもう少し早ければ・・とは思うが。
中身は、どうかなって思うものも結構あるけれど、とにかく進歩だ。

どうかなって思うのは、特に家電などのポイント制度。
「ポイントの管理者」が国民のポイントすべてを管理する、なんて
簡単そうに政治家は言うけど、(サンプロより)
・・・忘れていないかな?
この国は、年金ですら管理できなかった国なのだ。

レシート又はチケットで直接還元してもらう方が、よほど信頼が置ける。
レシートやチケットの保存は自己責任なわけだから。
もちろん、これも詐欺の標的になりやすいから、結局は簡単には
実行されないのかもしれない。


今日も、歩いていて昭和通を横切るときに地下歩道を歩いた。
入り口からすでに嫌な予感はしていた。
たぶん、一人では歩かないだろうという場所。
案の定、通路には5,6人の居住者が眠っていた。
彼らを嫌っているわけじゃない、気の毒だとは思う。
でも、彼らが暮らせる=行政の手が入っていない、という意味だ。
治安の良い場所には思えないのも事実だ。

それで思う。
ハケン切りで騒いでいるけれど、コンビニでは募集しても
人員が集まらない、仕方がなく外国人を本格的に雇うための
マニュアルを作り始めた。
これって、TVの報道とかなりずれている。
一体、誰が困っていて、誰が本当は困っていないのか。

本当に困っている人たちっていうのは、結局は
住宅がネックなんだと思う。
そして、それ以外の仕事にあぶれた人たちは、高い給与の仕事を
探しているだけで、例えばコンビニや飲食店で働くのを望んでいない。
しかもまだ本当には困っていないから、あえて失業したままなのだ。
(仕事を探し続けている)

食べるのにも困っている人は、コンビニで働くのがイヤとは
言っていないだろう。
ただ働けない(雇ってもらえない)だけだ。

だとすると、路上にあふれる居住者をどうにかすることが
一番なのじゃないのかな。
少なくとも働く意思があって、でも住む場所がない人たちを
どうにかする公共の施設。住民票をそこに決めてもよい場所。
仕事なんか、自分でみつけてもらえばいい。
大事なのは、住民票の登録できる場所を提供すること。

もちろん、これは地方でも通用する話かどうかは知らない。
都会ほど募集はないのかもしれないし。
しかも都会ほど路上生活者はいないのだろうし。
だから、私がここのところ見てきた環境でしか通用しないだろうけど。
少なくとも、都会では、ほとんどのお店でアルバイト募集の
張り紙が見られ、一方で、橋の下や川のそばや地下通路には
ダンボール居住者があふれている。
飲食店で対応してくれるのは、大概が外国人だ。

どこかおかしい。
雇う側が、選り好みしているわけ?
もちろん企業なんだからそれもOKだけど。
でも、本当は外国人を雇うのは、メリットは少ないはずだ。
言葉が通じにくい分、同一賃金ならば、私なら外国人よりも
高齢者を雇うだろう。
そのくらい大変なはずだ。

900円の時給で、もしも交通費も出るのなら、ハケンよりもよほどいい。
出なくたって、そもそも時給が高いw
なぜ、人が集まらないのだろう?
私はハケン時代、交通費自分持ちを引いて、実質日給5800円だった。
都内で900円はざらだ。

本当に困っているのは、だれ?

一週間

2009年4月10日 日常
彼は、私の日々の過ごし方が、不思議でならないようだ。
まるで世界の七不思議のような顔で聞く。
「昼間って何しているの?」

私はもちろん答えを濁す。決まりきった生活を
しているわけじゃないしねw
それでいて、監視されるというか規制されるのもお断りなのだw

一週間、というと私は、子供のときのある友人を思い出す。
そこの家は自動車学校だった。
なぜか、ある教室に「その歌」の歌詞が書かれていた。
遊びに行って、その歌詞を読んで、『これは何?』
とか聞いたのだろう。
それでその歌を知った。
曜日が歌に入っていてヘンな感じがした。

今度、彼にその歌の替え歌で答えてあげようかな、…なんてw
・・・結局、たいしたこともしないで日々を過ごしている
ということだけは事実なのだ。

私は、彼が最も嫌っている、ふつーの主婦業をしている。

格付け会社

2009年4月9日 経済など
ムー○ィーズとかS安堵Pとかw
無責任な格付けをしたことが、今回の世界的な経済危機を
引き起こした、と私は今でも思っている。

その格付け会社だが、最近、少し様相が変わっているようだ。
以前は、「おタクの会社の格付けをしてあげましょうか?」
だったのが、「格付けをさせてくれませんか?」に
変わりつつあるようだ。
しかも、お客は、『いえ、結構です。』ということも多いようで。
・・・当然だろう。

格付けには意味がない。
その会社を援助してくれるわけじゃない。
ヒトを格付け判断するヒマがあるのなら、自社の判断でもしたら?
と思ってしまう。・・・無理か。
格付けする相手がいなくなったら、会社がなくなるのだから。

ポパイ

2009年4月7日 日常
今夜は、彼とともにゆーちゅーぶで、ポパイの
初期の作品をみつけたので、観た。
・・・ちょっと衝撃を受けた。
国策アニメだったなんて知らなかった。
敵はもちろん日本。

日本人から見れば、どうみても日本人とは思えない
格好(服装)をしているけれどw
例のあさひの国旗もあって、メガネと出っ歯。
みんな同じ顔。しかもものすごく卑怯w

船を沈めるのに理由はいらない。
だって日本は敵なんだし、ポパイはヒーローなのだから。
洗脳ってのは、こうしてアニメのようなものから
やってしまうのだろうな。
ポパイがあまりうけなかったのもわかる気がした。

その後、トムとジェリーの最初の作品を観た。
言葉がわからなくても映像だけで面白くって笑える。
しかも時代が過ぎても、笑いが古くならない。
こういうのを傑作というのだろうな。

同じ頃、日本が作っていた国策アニメもあったので
少しだけ観た。
・・・ももたろうw
面白くなかったので、途中でやめたw。

必死でアニメを国策で作っていたときに、笑いを
しかも娯楽だけのために猫とねずみの出てくる作品を
高度な技術で作ってしまった相手。
勝てるはずもないな。

1940年代ということを考えると、日本のアニメが
優れている、なんてことはいえない。
今は、昔とっくにやっていたことを再現しただけだ。

トムジェリの話で好きなのは、最初の作品ではなく
悲しい、悲しい物語 だ。
表現の仕方がものすごく意外で面白かった。

まぁ、ただの個人の好みですw
お花見第4弾(光と影)
お花見第4弾(光と影)
お花見第4弾(光と影)
まずは・・・。

お花見の様子をTVのニュースで伝えてるわけじゃなく、
台風の実況をニュースで伝えているわけでもない。
ミサイルらしきものに対して、マスコミが過剰反応し過ぎ。
アナウンサーは興奮しすぎw。
パニックを引き起こそうとしているようにしか、思えない。
報道された頃には日本を通過しているようなもんだし
庶民に一体どうしろと?w

ニュースは速ければいいってものではない。
特にこういう国際関係の問題では。
正規のルートからではない情報を、そのまま流すのもどうか。
こういうのも平和ボケと言われるゆえんだろう。
私たちには、逃げる手段も予防する方法もないのだから
煽られて、どうしろと?w

もちろん、自衛隊や官僚関係の情報伝達の、幼稚さには
びっくりした。
これなら学校の連絡網の方が、よほどしっかりしているw
イラクだって、守られてハケンされただけで、実戦を経験した者など
もう日本にはいない。
いないとどうなるか、というのがよくわかった。
・・・よかったね、誤報に踊らされて、迎撃しなくって。
・・・よかったね、前日に伝達の練習が出来てw

さて、今回、もしも落下物があった場合、迎撃が成功したのか
あるいはダメだったのか、ちゃんとパーセント入りの数値で
報告して欲しいもんだ。
国民が要求するのは、こういう後の報告だ。
本当にあのシステムって役に立つの?w
誤報も含めて、速報だけを喜んでいるのはたぶんマスコミだ。

*************

本題

今日はどこに行っても満開だった。
まずは、いつもの地域のお花見の場所へ。
やはりものすごく親しみがわく。
桜だって、本数も環境も、有名なところには完全に負けている。
でも、結局、桜は桜。
印象は環境に左右される。私にとってはホーム。

しばらく歩いて、電車で移動して隅田公園へ。
先週ほとんど咲いていなかったところだ。
今週は9分か満開というところだろう。
牛島の横の公園で気がついた。
元々ここに“住んでいた”人たちの姿があまり見当たらない。
でも、お花見とは違う空気の人とたまにすれ違う。
酔客がいなくなるまで時間をつぶしている人たち。

私たちが座った場所は、ふと気がつくと
誰かの住まいのすぐ前だった。
自転車とたくさんの空き缶の山と荷物が奥の方にあった。
それで気がついた。
ここのゴミは、圧倒的に少ない。
これだけの花見客がいるのに、燃やせないゴミというのが
ほとんどカラなのだ。
私たちがゴミ箱に分別して捨てているすぐ横でも
それを回収している人が近くにいた。

飛鳥山でも靖国でも千鳥ヶ淵でも見られなかった光景。
しかも、飛鳥山はゴミの状況がひどかった。
すぐに回収する人がいないので、ゴミ箱からあふれていた。
お花見第3弾(ショウワの香り)
お花見第3弾(ショウワの香り)
お花見第3弾(ショウワの香り)
まずは飛鳥山へ。
ここは古墳だらけに見えた。
その頂上でのお花見って、ここだから出来ちゃうんだろう。
桜はもちろんきれいに咲いていたし、人出も多く
屋台もたくさんあった。
雰囲気は、子供づれが多い地域密着型。
こういうのはキライじゃない。

その後、外堀公園のあたりを歩いた。
桜はちゃんと咲いていたが、ここは学生の場所。
屋台はまったくない。
しばらくすると、今度は社会人の場所。
これも屋台はまったくない。
間近に桜を見ることはできるのだが、どこか
よそよそしさもある。

さらに歩いて、再び靖国神社へ。
先週は気がつかなかった桜も、いっせいに満開になっていた。
さすがに屋台は多いけれど、屋台に負けないだけ
綺麗に咲いていた。
ビールとフランクフルトで休憩。
・・・このフランクフルトは、とってもまずかったw
たぶん、もう一生こういうお店でのフランクフルトは買わないだろう。

・・・余談だが、彼がどうしてもアメリカンドッグというものを
食べたいというので探していたのだ。これが唯一似ていたわけだ。
そういえば、気がつくとアメリカンドッグを売っているのを
最近見たことがない。
一部の地域(関西とか道東)ではフレンチドッグと呼ばれるものだ。
彼はもちろん関西人なので、アメリカンドッグの看板を見たことがない。
私は、どこかでフレンチドッグを知っていたが、身近なのは
アメリカンの方だった。

中身は同じだろう、とフランクフルトで手をうったのだが・・・
ちがーうううう。
私の知っているアメリカンドッグ(フレンチドッグ)は
たしかに中身はおいしくなかった。
でも、外側は揚げパンというと褒めすぎかw、とにかく
外側と一緒に食べることで、どうにかなる、というものだった。
そういう意味では、外側がないフランクフルトは
中身だけの勝負なわけで、それよりは高級品のはずだったのだw

今回私たちが食べたフランクフルトは、まさにアメリカンドッグの
中身をさらに薄めて長くしたシロモノだった。
なぁ~にが“ビッグフランク”だ!!
・・・とにかくまずいっ。
魚肉ソーセージを出される方が絶対に数段まし。

*********

飛鳥山公園に入ろうとしたとき、すぐそばのさくら新道の
建物群を見て、前の若い女の子が言った。
「ねぇ見て、ショウワの香りがするぅ~」

これを聞いて、彼が笑った。
ボクたちは昭和を、しょうわ、と最後またはフラットの
アクセントにする。
彼女たちは、ショウワ、と頭にアクセントを持ってくる。
ここからがそもそも違うのだな、と笑った。

飛鳥山周辺の稲荷を訪れていたら、装束稲荷で
面白いものをみつけた。
社殿の扉にかけられたお面。
大晦日に狐たちが装束を整えて・・・という場所だっただけに
誰の仕業かはしらないが、この稲荷ならではのお面。
G20が終わったという記事を読んで彼が言った。
「普通の国は、政策に売りなし、なんだけどなぁ。」
日本は政府が何かすると、株が下がることが多いw

日本がバブル崩壊後ずっと低迷した要因は3つある、という。

1.日銀(鬼平)が金利を上げた
2.不良債権の処理を先延ばしした
3.景気浮上の絶妙のタイミングでまたしても日銀が金利を上げた

『あれれ?1と3は、どっちも日銀だけど。どう違うの?』
「意味が違う。1はバブルを徹底的につぶすためにした。
 3は景気が回復したと勘違いしてやった。」

日本にとっては、四半期ごとの決算というのは向かないのだろう。
導入してから目先の事しか考えられなくなった。
四半期の決算が悪いと株主に文句を言われる。
株主は、10年後の利益なんか関係ないから。
開発にお金をかけられなくなって、とりあえずのモノしか
できなくなった。

プリウスにしたって、2000年の頃からずっと開発してきたから
ちゃんとしたモノができたけど、GMはそうはいかない。
T社と違ってもう現金がない。
アメリカを代表する企業らしく、金融のGMACを使って、数字だけ
儲けたような決算を過去出し続けてきたが。
今から2年で開発なんかできるはずもない。
GMはモノづくりができない会社なのだ。

そして、今日のGMは、明日の日本のように思える。

タレント議員

2009年3月30日 日常
どこかの県では、自民でも民主でもなく
タレントさんが勝ったようだ。
この場合本当に、タレントさんと言えるのかな。

お花見第2弾
お花見第2弾
まずは千鳥ヶ淵へ。
もしも満開だったらさぞかし綺麗だろうとは思ったが
残念ながらまだ5分咲き。
しばらく歩いて、Uターンした。
左側通行なので、帰り道はあまり見ることができない。

その次はすぐ近くの靖国神社へ。
ここは本数は多いのだろうけれど、ソメイヨシノだけではないし
何よりも桜よりも屋台そのものを観賞しに来た感じがした。
屋台の規模は、上野公園以上だった。
風は冷たかったけれど、ビールと焼きそば、サツマスティックと
シャーピン(餃子味のおやき)。それに彼は大判焼き。

このシャーピンは、初めて食べたが、注文したあとにちょっと
後悔した。作っている様子が手でコネコネ。
そして、足元のバケツか何かの水で手を洗った後に
雑巾のようなもので濡れた手を拭いている。
(・・・焼くんだから、大丈夫・・・よね?)かなり不安。
餃子の具が入った平べったいおやき。
彼は、「中国風のニオイがする。」と言った。

徐々に灯りがともって、寒さにも耐えられなくなって
千鳥ヶ淵へと歩き始めた。
ここの夜桜の写真が綺麗なわけがわかった。
照明が淡い桜色なのだ。

どちらも人出はたいしたことがなかったが、来週はすごいのだろうな。
たぶん、私たちは来週も桜を追いかける。
こんな行動をするのも、彼が希望しているからだ。
なぜ彼がこれほどまでに桜を好きなのかはわからない。

お花見第1弾

2009年3月28日 日常
お花見第1弾
お花見第1弾
お花見第1弾
まずは上野公園に行ってみた。
5分咲きとのことで、人出はそれほどでもなかった。
ここは場所が広いせいか、屋台が多く、しかも
あまり見たことがない屋台がたくさんあった。

トッポキ、チャプチェ、ドネルケバブ、イタリアンスパ
鮎の塩焼き、ジャガバター・・・もちろん普通の
焼きそば、たこ焼き、おでん、フランクなどもある。

私たちは鮎でビールを飲んで、第2会場へw
隅田公園はまだほとんど咲いていなかった。
つぼみが小さかったので、来週も満開になるかどうか
怪しく思えた。
かなりがっかりして、歩くのをやめて第3会場へw

江戸川公園。
先週よりも、さらにたくさん咲いていた。
まだまだつぼみも多かったが、来週末までには
満開になってしまうかもしれない。

町内の屋台が出ていて、偶然チンドン屋さんも
来ていた。昭和レトロな音楽を流しながら、
ビラを配っている様子は、駅前なんかよりも
ものすごく合っていた。

ここでは、焼き鳥と焼きそばでビール。
夜風が冷たくなってきたので、さっさと引き上げた。

*********

浅草でのこと。
一人の警察官が、信号が変わるやいなや、いきなり全速力で
走り出した。
交差点にはかなりの人がいたが、その速さに周囲が
おぉぉー、とどよめいた。
どうやら何かの違反をした車を、走って止めようとしていたようだ。

『制服だったよね…あんなに速く走れるものなの?(動きにくそう)』
「訓練のたまものじゃないか?」
『プロの走りだったよね。』
「うん。カラダにブレがなかったよ。」

野次馬根性でwその方向に向かうとしばらくしてタクシーが
止められていた。
そこには、待機していた別の警察官もいた。

そういえば、最近車の取り締まりのシーンをよくみかける。
強化月間なのだろうか。
税収が減っていることでもあるし、頑張って取り締まってください。
酒気帯びやスピード違反をもっと取り締まるだけで国庫が潤うのなら
誰も文句は言わないはず。
まぁ、こういうときもあったさねw

咲き始め
咲き始め
咲き始め
江戸川公園というのは、江戸川区にあるものだと思っていたw
神田川の一部を昔、江戸川と呼んでいたためらしいが、
ちょっとわかりにくい。
これは街歩きの成果かな。

まだまだほとんどの木はつぼみのままだが、暖かい場所の木は
咲き始めていた。
「どこでお花見をしよう?」
これが最近の彼の悩みのタネだw

私は、本音としては、屋台と座るスペースが確保できる所なら
どこでもいいんだけどねw
あ、夜桜もw

来週の土日はどこに行くのかな。

スレ

2009年3月21日 日常
スレ
年齢とともに好みの街は変わるのだろう。

それでも、私はやはり渋谷は好きにはなれなかった。
そして、これは彼も同じだった。

表現は違う。
彼は、渋谷を、中身のない空虚なハリボテの街、と表現した。
私は、一言では難しいかな。。。虚勢を張った街でもあったし
かつて自分もあこがれてきたわけだがw、なじめない、と
思った街でもあった。
田舎もんの私には、池袋がせいぜいで、
新宿はどうにかなっても渋谷は遠すぎたのかw

たぶん当時は距離の問題じゃなかったのだろうけど
今は少なくとも年齢の問題なのかもしれない。
あの街は、現実に年寄りが歩いていない街なのだ。
だから、年寄りには疲れるのだ。
あの街は、せいぜい20代前半までしか受け付けない。

駅の周辺の話ではない。

私は、少なくとも関西出身の彼よりも予備知識はあるので
道玄坂や丸山町のイメージを知っている。
その後、北の繁華街も知ったわけで、あの風景wをそれほど
異常とは思わないのだが、彼にはきつかったようだ。
・・・そりゃ、私だって、真昼間に稲荷をめぐるために
ホテル街を歩き回るのが楽しいとも思えないが。
正直、彼があんなに疲れるとは思ってはいなかった。

「これ、全部満室になるのなら、異常だよ。」

・・・そうなの?
だって、そのくらいの人口がここ周辺にはいるんだけど?
というか、こういう環境に平気ってのは、昔私が住んでいた場所が
いけないんでしょうかねw
(連れ込み旅館w)

それこそ、鶯谷も見たし小岩も錦糸町も見たし、湯島も見た。
私も、ここまで延々と続くホテル街ってのは、多少は疲れた。
でも、彼はそれ以上に疲れていた。

ちょっと思った。
この人は、こういうことに、あまり免疫がないのかもしれない、と。

お寺の人への偏見が変わった
お寺の人への偏見が変わった
お寺の人への偏見が変わった
今日は、三河島事故のあたりに行った。
事故の詳細はウィキで調べてくださいな。

実は、今日、出かける前に、彼は
「ちょっと寄りたいところがあるんだ」と言っていた。
でも、そのお寺のことじゃなく、事故現場のことだったはずだ。

なのに、なぜか、裏道を歩いていると、偶然そのお寺に遭った。
裏道・・・というのは、お寺の前の道路だったのだ。

怖いとかいう話じゃない。あくまでも偶然。

そこで、私ははじめてお坊さんへの偏見を捨てることができた。
そのくらい真面目に親切に接してくれた。
そもそも・・・17時を過ぎていたのだw
本来なら、門を閉められても仕方がない時間。
でも、ごくごく普通に詳しく説明をしてくれた。
説明することが、自分の修行であるかのように。
あるいは、伝えるということが、自分の生涯をかけた
修行であるかのように。
そのお坊さんは、静かに説明を続けた。

彼は下調べで知っていたかもしれないが、私は全く知らなかった話。
まるで、空の123便のようで、はじめてそこで知った私には
かなり衝撃的だった。

「本堂に並べられて。。。。」
「あそこのつつじは・・・」

一人亡くなっても悲しい。100人亡くなっても、やはり悲しい。
でも、本来、怖いと変換されるものではないはずだ。
そういう怖いとされそうなものを、ここで引き受けたのかもしれない。

稲荷巡りをしていて、思う。
そりゃ、私は確かに霊なんか感じない人間だ。
でも、感じないからこそ、思える。

怖い、と思うのもやはり人間の個人のココロの見せるもの。
生きている人間よりも死んだ人間の方が絶対に多いのだから
今以降、みーんな怖がって暮らさなくてはならないw

よく考えると、今生きている人間は、全員、過去の人間の
子孫なわけだ。
子孫が苦しむことを願う人間・・・というか、祖先が子孫を
苦しめる霊、というのは、少なくとも日本ではあまりない。

2代前のAさんも、10代前では、私と同じ祖先だったり
するわけだ。
傷つけあうなら、それは霊のせいではないはずだ。
霊が見える、という人がいるのなら、それはそれで否定するつもりもないが
少なくともいまだに私には見えない。
そして、見えるのなら、10代前の人が、子孫同士が争って喜ぶはずがない。
・・・あ、否定しちゃったか?w

スミマセンw

とにかく、怖がることでもなく、人間はみんな子孫なのだ、と思えばいい
のではないだろうか、言葉が通じなくても。

死とか命とか、先祖とか子孫とか
普段は考えないようなことも、考えさせてくれた。
めったに名前を載せないが、あえて今回は載せたい。
「浄正寺」三河島のあたり。
ここのお坊さんは、今でもちゃんと修行をしている。
事故の様子を伝えることも、つらいだろうけれど
修行だったのだろう。
無知の私のようなものへの説明・広めること、も修行なのだろう。
そして、お坊さん嫌いの私でも、感銘を受けた。
熱心さが伝わってくるのだ。
17時で閉められるはずの門。
私たちが説明を受けはじめたのは、17時16分だった。
過ぎた願い
過ぎた願い
過ぎた願い
坂の途中にイスを持ってきて風景をただただ眺めている老人がいた。
人生を振り返っているのか、建ちつつあるビルをみつめているのか
わからなかったけれど、私も思わず、同じ高さで振り返ってみた。

開けた視界が、とても気持ちが良かった。

川のそばや、平坦なのに 山や谷 で暮らす人たちとは
違う外の楽しみ方。
やはりここは文京の地だ。
そもそもが坂が多い。
気のせいか、老人からも切迫感や独特の諦めた感じは受けない。
気として漂ってくるのは、静。

『こんなところで犬を散歩させながら老後を迎えて
犬が逝った後に、一人静かに逝く、なんて理想ね。』

「そりゃぁ、過ぎた願いだよw。」

私が願うことは、あらゆることで過ぎたことなのかな。


昨日はホワイトデー

昨日、確かに彼は店先に並べてあった商品の
「White Day!」とかいう包装に反応していた。
「そっか、ホワイトデーだっけ。」ともつぶやいていた。

でも。そのまま時は流れ。
今日、15日の24時を過ぎ、16日に突入しているけれど
なぁぁぁんにもない。
そもそも、とっくに彼は眠ったし。


・・・・・・そんなもんですよね。
・・・・・6年目だったものね。
・・・・きっとわかってる。
・・・でも、きっと何もしない。
・・そんな人だよね。
・何も言わないほうがいいのかな。


んなぁこたぁないっ!!!!(そんなことはないっ)

いくらものわかりがいい私(のつもりw)でも
ここは肝心なところ、と直感が、本能が、とにかくなんだか
わからんがそう思えるわけで。

・・・明日以降、十分頃合を見てww
・・・責めますw


でもやっぱり。

拝金主義

2009年3月11日 日常
拝金主義
Nスペ、正確にはNHKスペシャル。
とりあえず録画しておいて、時間ができたときに
まとめて観ることが多い。
かなり前の分のこともあるがw

詐欺の話は、ものすごく興味深かった。
(かなり前の放送だけど、つい先日みましたw)
自分の親にも似たような詐欺は何度かあったけれど
どうにか今のところは逃れている、という程度。

ただ、私は親にどんな場合でも借金を
電話一本で申し込むようなことはありえない。
それだけは伝えてる。
困ったなら、目の前で頭を下げて直接お金を融資して
もらうために、たとえ親が外国に住んでいようが
その場合なら、いく。

こう伝えていれば、実家に帰る電車賃すらないのも
へんな話、と疑ってくれるのではないだろうか。
・・・かすかな希望w

*********

このTVは、以前彼が感じたことを話してくれた内容に
すごく合っていた。
最近の若い社員(部下)は、ボクたちとは明らかに違う。
「彼らは、お金を稼ぐことがものすごく大事なんだ。」
自己保存の強い彼ですらそう感じてしまう最近の若い人。

お金が欲しくても、それは目標金額がある、というよりも
友人よりも多く、というのが目標であるような
ちょっと今までと違う感覚。

ブランド物に身を固めても、ブランドを好きなわけでなく
お金を持っていることを友人に示したいために
直接の小道具とするだけ。
以前のブランド好きとはどこか違う。

「人生、お金だけじゃないんだぞ」とどこかのオトナが言ったとする。
すると彼らは思う。
『(何度もそう聞いて知ってはいるけれど、)でも、なんで?』
お金がすべて、という考えのどこがいけないの?と思うのがふつーらしい。

難しいところだなw
お金がないと、さすがに愛情だのと言ってられなくなるのは
とっくにわかってるから。

そこで彼と色々話したが、内容があまりに反社会的なのでw
↓で。

写真は、思い出のお店。
なくなってほしくないけど、時代とずれてきているので
最後かも、と思っての訪問。
これを乗り越えたら。たぶんもう一周(経済の一周)頑張れる。

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