「25才くらいまでの生活で、将来の嗜好も決まって
しまうんだって。今のは何かに書いてあったんだけどね。」

彼が読んだのは、今までの25歳くらい=自分でようやくお金を
自分のために使えるようになる時期、の人たちは、幼少の頃
車があっても高級で買えなかった人たちは、自分でお金が
使えるようになると、欲しいと思った。また、家電製品が
高くて買えなかった人たちは、大人になって、欲しいと思った。
そんな感じの話。あくまでも一般的な時代としてのお話。

「今の25歳くらいの人は、モノにあふれて育っていたはずで
今改めて欲しいモノなんかないのでは?とこの話は終わっていたんだよ。
でも、ボクはそのウラも存在していると思ってる。」

『ウラ?・・・欲しくないってこと?』
「そう。でも、その前に。今の若者が本当に“欲しい”のは
なんとなくボクにはわかるんだけどな。なんだと思う?」
『・・・??』
「現金だよ。ボクたちみたいにインフレもバブルも、彼らは知らないどころか
お小遣いなんかロクにもらえなかったかもしれない。そうなると、貧しい
けれども車もTVも家にはあるし、録画機もあっただろう、カメラはデジカメ
じゃなくてもあったはずだし・・・足りなかったのは小遣い=現金
だったんじゃないのか。そんな彼らは、モノなんかいくら付加価値をつけても
欲しくないよw」


「じゃあ、ウラの話。欲しくないものはなんだかわかる?」
『・・・具体的にはわからないけど、押し付けられたりして、イヤだと
子供の時に思ったモノ・・・かな。』
「ボクは外食が好きでね。それというのも、母親の料理がものすごく
まずかったんだ。給食なんかマズイっていう人もいたけど、
ボクにはとってもおいしかったよ。だから、今でもどうしても
外食したくなるんだ。」

正直言って、彼の母親が作った料理を食べたことがないので、
彼の言葉がおおげさなのかどうかもわからない。
でも、基準は彼の気持ちにあるのだ。
“イヤ”か“スキ”か。

それで私にも思い当たった。
『私も、小倉餡が苦手なのは、きっとそのせいね。一緒に母親と
大判焼き(北海道では“おやき”)を買いに行ったときでも、私の
クリームという意向は無視され続けたもの。一個くらいクリームに
してくれてもよかったのにねw』

・・・おかげで、どんなにまずいクリームであろうと、私は
小倉アンを買うよりもクリームを買ったことに満足している自分に
気がついている。
でも、わかっていても、小倉アンを買うことはどこか負けを認めるような
妙な感覚で、どうしても反抗したくなる。
味なんか、どうでもよくって、自分のトラウマとの戦いみたいなもんだw


似たようなことでは、洋服、というものがある。
以前にも少し書いたが、母には自由に色々な服を買えて着られることが
たぶん嬉しかったのだろう。兄弟姉妹がたくさんいたし。
それで、その矛先は私に向かった。
幼いうちはまだいい、物心ついたときに友達に言われた。

「ふたつ星ちゃんって、お洋服たくさん持ってるよね。」

・・・恥ずかしかった。
どれもこれも、母親が買ってきただけで、枚数が多い、ということにさえ
気がついていなかった。
そりゃ、高級ではなかっただろうけれど。
それで、封印したのかもしれない。
それ以後、私はファッションというものに興味をもたないようにした。
そして、実際、地味で時代に無頓着なカタチのものを好むようになった。

母自体は、今も服をものすごーく持っている。
たぶん、もう一生買わなくてもいいくらいの量をw。
でも、嗜好は止まらない。傷が癒えるまで。

あふれていたから、欲しくない=気に留めない
不足を感じていたから、欲しくてたまらない=購買意欲は衰えにくい

ひょっとしたら、今まで、散々、マーケティングがどうの、と
企業は研究していたけれど、もっと根本的なことにあったのかな。
付加価値が受け入れられたのは、付加価値がなくってもガマンしなくては
いけない世代だけに対してであって、もう通用しない、ということ。

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