あるTVで、昔日本が台湾を占領して統治していた時期に
日本の教育を受けた人の取材が少し放映された。
教育勅語を今でも覚えている、と自ら進んで内容を話してくれた
その人物の、そのときの顔は、笑顔だった。
「たぶん、“なぜ笑顔なんだ?”という同じ疑問を
たぶん冷静に歴史を受け止めたアメリカ人なら
今の日本人に感じるのだろうね。
でも、現実にはアメリカ人は、大抵あのお国柄そのまんまの性格で
まともに歴史を判断している人なんかいないだろうけど。」
『・・・お国柄って?』
「あれだよ、原爆は正義だった、みたいな考え方。今でも
大多数のアメリカ人は広島や長崎の現実も知らないのに、
ただ自分たちが正義ということしか言わない。」
被害を受けた側なら、怒りをもって応対しても不思議ないのに
台湾も、そしてアメリカに対しての日本も、相手に笑顔さえ送る。
なぜなんだろう?
少なくとも、日本に関してはちょっとだけわかる。
それは、植えつけられたあこがれ、みたいなものだ。
昔、日本のTVでアメリカのドラマが相当流れていた。
そこから得るのは、広い家、色々な家電製品、安定した生活・・・
すべてが、アメリカは裕福なんだと植えつけた。
貧しかった日本には、あこがれの対象になったわけだ。
実際のアメリカは、貧富の差が当時の日本よりも激しく
今の日本よりも福祉が充実していない、としても
TVだけを観ていた日本人にはわからないこと。
その記憶は、子の代までは作用する。
孫あたりから、かなり薄れて全く影響を受けないこともある。
たぶん、今日本では10代で、アメリカに妙な憧れや逆に反発心
など持つ人はほとんどいないのだろう。
ただの外国のひとつ、としての認識、これがしがらみを
断ち切った世代の認識なんだろう。
そして、同じ占領下におきながら、受け止められ方が
180度違うアジアの国は多い。
彼らはたぶん日本の言葉を知っていても話さない。
そのくらいの怒りをもったままなのだろう。
親日といわれる国とそうでない国の違いがあるとしたら
その時代背景なのかな、なんて感じた。
戦時下に占領された地域は、今でも、占領された、という記憶が残る
だけでそれこそ搾取された記憶だから笑顔にはなれない。
台湾の人の笑顔は、それ以上に複雑な事情があるように思えた。
恐らく、取材を受けた人々は、その当時は裕福な家に育ったのだろう。
でも、内地(今の日本の領域)じゃなかったために、かなりの差別を
受けた。そして、その記憶は悲しく悔しい。
でも、思った。
「日本風のお弁当にして欲しい、と親にねだった。」
実際の日本の人間は、当時お弁当に玉子焼きやタラコを
そうそう詰めることは出来なかっただろう。
ねだって出来たという家に住んでいたということなのだ。
たぶん、想像だけど、彼らには裕福であった子供の頃
けれどイジメを受けた、という記憶なのだろう。
だからこそ、悔しいけれど、裕福のあかしとして
日本の当時の文化を自ら伝えることをするのかもしれない。
ん?だとすると、日本人がアメリカに笑顔を送るのはなぜだ?
それは敗戦国としてのゆがんだものなのかな。
例えば、アジアの言葉ではなく英語(日本人にはアメリカの言葉)
ができる、というのはエライことで、アメリカ人の友人がいるのは
エライことで、アメリカに行ったことがある又は住んだことがある
というのは、とてつもなくエライこと・・・みたいな感覚が
一時期確実に生まれたのだ。
これは、アジアの他の国では得られない何かステータスみたいなものを
日本人に感じさせたのだろうw
・・・バカな話ではあるけれど、国が負けて、相手の文化に染まる
というのはこういうことなのだろう。
日本の教育を受けた人の取材が少し放映された。
教育勅語を今でも覚えている、と自ら進んで内容を話してくれた
その人物の、そのときの顔は、笑顔だった。
「たぶん、“なぜ笑顔なんだ?”という同じ疑問を
たぶん冷静に歴史を受け止めたアメリカ人なら
今の日本人に感じるのだろうね。
でも、現実にはアメリカ人は、大抵あのお国柄そのまんまの性格で
まともに歴史を判断している人なんかいないだろうけど。」
『・・・お国柄って?』
「あれだよ、原爆は正義だった、みたいな考え方。今でも
大多数のアメリカ人は広島や長崎の現実も知らないのに、
ただ自分たちが正義ということしか言わない。」
被害を受けた側なら、怒りをもって応対しても不思議ないのに
台湾も、そしてアメリカに対しての日本も、相手に笑顔さえ送る。
なぜなんだろう?
少なくとも、日本に関してはちょっとだけわかる。
それは、植えつけられたあこがれ、みたいなものだ。
昔、日本のTVでアメリカのドラマが相当流れていた。
そこから得るのは、広い家、色々な家電製品、安定した生活・・・
すべてが、アメリカは裕福なんだと植えつけた。
貧しかった日本には、あこがれの対象になったわけだ。
実際のアメリカは、貧富の差が当時の日本よりも激しく
今の日本よりも福祉が充実していない、としても
TVだけを観ていた日本人にはわからないこと。
その記憶は、子の代までは作用する。
孫あたりから、かなり薄れて全く影響を受けないこともある。
たぶん、今日本では10代で、アメリカに妙な憧れや逆に反発心
など持つ人はほとんどいないのだろう。
ただの外国のひとつ、としての認識、これがしがらみを
断ち切った世代の認識なんだろう。
そして、同じ占領下におきながら、受け止められ方が
180度違うアジアの国は多い。
彼らはたぶん日本の言葉を知っていても話さない。
そのくらいの怒りをもったままなのだろう。
親日といわれる国とそうでない国の違いがあるとしたら
その時代背景なのかな、なんて感じた。
戦時下に占領された地域は、今でも、占領された、という記憶が残る
だけでそれこそ搾取された記憶だから笑顔にはなれない。
台湾の人の笑顔は、それ以上に複雑な事情があるように思えた。
恐らく、取材を受けた人々は、その当時は裕福な家に育ったのだろう。
でも、内地(今の日本の領域)じゃなかったために、かなりの差別を
受けた。そして、その記憶は悲しく悔しい。
でも、思った。
「日本風のお弁当にして欲しい、と親にねだった。」
実際の日本の人間は、当時お弁当に玉子焼きやタラコを
そうそう詰めることは出来なかっただろう。
ねだって出来たという家に住んでいたということなのだ。
たぶん、想像だけど、彼らには裕福であった子供の頃
けれどイジメを受けた、という記憶なのだろう。
だからこそ、悔しいけれど、裕福のあかしとして
日本の当時の文化を自ら伝えることをするのかもしれない。
ん?だとすると、日本人がアメリカに笑顔を送るのはなぜだ?
それは敗戦国としてのゆがんだものなのかな。
例えば、アジアの言葉ではなく英語(日本人にはアメリカの言葉)
ができる、というのはエライことで、アメリカ人の友人がいるのは
エライことで、アメリカに行ったことがある又は住んだことがある
というのは、とてつもなくエライこと・・・みたいな感覚が
一時期確実に生まれたのだ。
これは、アジアの他の国では得られない何かステータスみたいなものを
日本人に感じさせたのだろうw
・・・バカな話ではあるけれど、国が負けて、相手の文化に染まる
というのはこういうことなのだろう。
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