以前にも書いたけれど、いまだに私はこの制度の不備ゆえに
反対だ。
制度導入の理由が、一般市民の感覚を取り入れたい
というのなら、かなりへんな話だ。
法律で裁かれるもので、感情で裁かれるものではない。
時代に合わないから変える、というのなら、
法律を変えるべきだ。
裁判をする人間を素人に変えてどうする?w
私たちは税金でプロの裁判官を雇っているのに
なぜ素人が裁判しなくてはならないのか?
それほどまでに、プロの技量が落ちているというのだろうか。
それでも、裁判員制度自体を全面否定するわけじゃない。
日本という国の過去からの流れを考えれば、いきなり
素人に死刑判決の裁判をさせるから、おかしいのだ。
日本では、市民による裁判という歴史が育っていない。
なんでも歴史は必要だ。
まずは、市民が軽微な犯罪の判決をする、というところから
始めるのが筋だろう。
裁判にかかる時間を短くするため、というのなら
素人の参加はその逆を意味する。
理解しにくい特殊な内容を、全くの素人が読んで
早くなるはずがない。
しかもヒトの生死を決める、なんて、プロよりも
もっと時間がかかるはずなのだから。
素人の参加が「時間短縮」につながる、と考える人たちは
素人はどうせ何もわからないのだから、こっちのいいなりに
なるだろう、と踏んだってことなんだろう。
いい加減な裁判を増やそうとしているのか?
それから、サンプロ(TV報道)によると、
過去、冤罪がかなり多かったことを思い知らされる。
今回の裁判員制度でも、取調べの録画は全部が提出されるわけじゃない。
一部だけの切り取りでは、本当の意味は隠され、逆の意味にも
受け取れる場合もある。
録画は、検察に有利に利用されやすい状況だ。
なぜ全部を提出できないのか。やましいことがあるのか?
裁判員制度を昔からやっている米国では、すべての証拠のリスト
提出を義務付けられている。
でも、日本ではコピーすらできなかったり、そもそも
証拠の提出を拒まれたりする。
そんな検察の大きな権力の前に、素人の裁判員は
何ができるのだろう?
感情では、犯罪が許せない、と思って極刑を望むかもしれない。
でも、問題なのは、その対象が、本当にその人なんですか?
ということだ。
反対だ。
制度導入の理由が、一般市民の感覚を取り入れたい
というのなら、かなりへんな話だ。
法律で裁かれるもので、感情で裁かれるものではない。
時代に合わないから変える、というのなら、
法律を変えるべきだ。
裁判をする人間を素人に変えてどうする?w
私たちは税金でプロの裁判官を雇っているのに
なぜ素人が裁判しなくてはならないのか?
それほどまでに、プロの技量が落ちているというのだろうか。
それでも、裁判員制度自体を全面否定するわけじゃない。
日本という国の過去からの流れを考えれば、いきなり
素人に死刑判決の裁判をさせるから、おかしいのだ。
日本では、市民による裁判という歴史が育っていない。
なんでも歴史は必要だ。
まずは、市民が軽微な犯罪の判決をする、というところから
始めるのが筋だろう。
裁判にかかる時間を短くするため、というのなら
素人の参加はその逆を意味する。
理解しにくい特殊な内容を、全くの素人が読んで
早くなるはずがない。
しかもヒトの生死を決める、なんて、プロよりも
もっと時間がかかるはずなのだから。
素人の参加が「時間短縮」につながる、と考える人たちは
素人はどうせ何もわからないのだから、こっちのいいなりに
なるだろう、と踏んだってことなんだろう。
いい加減な裁判を増やそうとしているのか?
それから、サンプロ(TV報道)によると、
過去、冤罪がかなり多かったことを思い知らされる。
今回の裁判員制度でも、取調べの録画は全部が提出されるわけじゃない。
一部だけの切り取りでは、本当の意味は隠され、逆の意味にも
受け取れる場合もある。
録画は、検察に有利に利用されやすい状況だ。
なぜ全部を提出できないのか。やましいことがあるのか?
裁判員制度を昔からやっている米国では、すべての証拠のリスト
提出を義務付けられている。
でも、日本ではコピーすらできなかったり、そもそも
証拠の提出を拒まれたりする。
そんな検察の大きな権力の前に、素人の裁判員は
何ができるのだろう?
感情では、犯罪が許せない、と思って極刑を望むかもしれない。
でも、問題なのは、その対象が、本当にその人なんですか?
ということだ。
コメント
ゆえに、演技力重視。パフォーマンス重視w
たいした税金も払っていない私は裁判官をも雇えないのでw 法治国家だと法制度だと、決まったことだと言われたら「ああ、そーですか」としか言えないですが今のところ、自分が裁判員にならないことを祈るばかりです。
しまいますよねw
納めた税金の額ではなく、位置づけの話なのでww
私も税金となると微々たるものしか払ってませんw
でも!私たちは雇っているわけです。プロの技量が劣ってきたとは
思っていませんが。
むしろ、あれだけ頑張って勉強してきた人たちと、なぁんにも勉強しないで
のほほんと生きてきた私のような人間が、同じ裁判ができるなんて、
司法の人間には屈辱かもしれませんね。
だとすると、この制度、意義があると思えるのは、裁判官側なのか
検察側なのか・・・。
大抵の人は裁判員になるチャンスがあるはずです。
私も制度には反対だけど、赤紙がきたらw、義務として召集されるつもりです。
でも、私なんかが判決を下すのに参加するのはどうかと自分でも思います。
私は人の生死を定めることが出来るような人間じゃぁない。