写真:三光の近くのにゃんこたち
猫がいなくなったら三光さま、という稲荷。
そんな稲荷の近くで悪さをする人間も少ないだろうし
こうしてにゃんこが増えて、逃げたにゃんことも再会しやすかったのだろう。
・・・あくまでも推論。
東京駅で待ち合わせとなった。
相変わらず一人でお正月を過ごした私は、のびのびした気分を
味わった。(ありがたや。。。)
けれど彼はいつもの「理不尽な怒られ方」だけでなく、別なストレスも
感じたようだ。
今回は途中で吐き気も感じたようで、かなりやばいと思った。
**********
年取った両親、あるいは年取った祖父母と一緒に暮らしたことが
ある人なら、覚えがあるはずだ。
賞味期限の切れた食品・・・・それを指摘すると、怒られたり
その後の相手の不機嫌さに参ってしまったり。
これは腐っているよ、と指摘した私が悪いのだろうか?
私は最初、祖母で経験し、次に母で経験して思った。
これは個人の問題じゃなく、老化の度合いの違いだけだ、と。
ついでに言うなら、母の老化はそれほど顕著ではない。
賞味期限の指摘は、母が若い頃からしていて
その都度母と険悪になった。
離れて暮らしていたからそこまで険悪にならなかっただけなのだろう。
老化は徐々に進むということだ。
もっと言うならば、お皿やコップの洗い具合を実家に帰ったときに
確認したらいい。
元気ならば、それらは確実にピカピカできれいだ。
でも。
いつの頃からか、コップは曇り、お皿はべとついてくる。
それを指摘すると、返ってくる答えはすべていいわけだ。
大抵は「忙しい」から。
でも、それはたぶん本人が一番、手抜きということを
わかっているのだろう。
真実を指摘されたから、怒るのだろう。
だから。
私は指摘するのをやめた。
汚れていると思えば、黙って洗い直したらいい。
やっかいごとは、それで一つ減る。
汚くて平気なら、そのまま使えばいい。
イヤなら本人が洗えばいい。
お客さんに出すのが恥ずかしいと思うのなら、思った私が
洗えばいいのだ。
相手はもう年をとっている。
指が思うように動かないのも事実だろうし
目が以前のように見えないのも事実だろう。
先日の結婚式の身内でのまかない。
叔母は、以前、祖母が洗ったはずのお皿を洗いなおしていた。
コドモだった私にはその記憶がある。
その叔母のお皿が、私には汚く思えた。
こうして、人間は年を取っていくのだな、と感じた。
いつか、私のお皿を汚いとみなが感じるようになるのだろう。
汚いと感じた人間が、黙ってきれいにしたらいいだけのことだ。
老いはどうしようもないのだから。
指摘しても、若返ることはない。↓
猫がいなくなったら三光さま、という稲荷。
そんな稲荷の近くで悪さをする人間も少ないだろうし
こうしてにゃんこが増えて、逃げたにゃんことも再会しやすかったのだろう。
・・・あくまでも推論。
東京駅で待ち合わせとなった。
相変わらず一人でお正月を過ごした私は、のびのびした気分を
味わった。(ありがたや。。。)
けれど彼はいつもの「理不尽な怒られ方」だけでなく、別なストレスも
感じたようだ。
今回は途中で吐き気も感じたようで、かなりやばいと思った。
**********
年取った両親、あるいは年取った祖父母と一緒に暮らしたことが
ある人なら、覚えがあるはずだ。
賞味期限の切れた食品・・・・それを指摘すると、怒られたり
その後の相手の不機嫌さに参ってしまったり。
これは腐っているよ、と指摘した私が悪いのだろうか?
私は最初、祖母で経験し、次に母で経験して思った。
これは個人の問題じゃなく、老化の度合いの違いだけだ、と。
ついでに言うなら、母の老化はそれほど顕著ではない。
賞味期限の指摘は、母が若い頃からしていて
その都度母と険悪になった。
離れて暮らしていたからそこまで険悪にならなかっただけなのだろう。
老化は徐々に進むということだ。
もっと言うならば、お皿やコップの洗い具合を実家に帰ったときに
確認したらいい。
元気ならば、それらは確実にピカピカできれいだ。
でも。
いつの頃からか、コップは曇り、お皿はべとついてくる。
それを指摘すると、返ってくる答えはすべていいわけだ。
大抵は「忙しい」から。
でも、それはたぶん本人が一番、手抜きということを
わかっているのだろう。
真実を指摘されたから、怒るのだろう。
だから。
私は指摘するのをやめた。
汚れていると思えば、黙って洗い直したらいい。
やっかいごとは、それで一つ減る。
汚くて平気なら、そのまま使えばいい。
イヤなら本人が洗えばいい。
お客さんに出すのが恥ずかしいと思うのなら、思った私が
洗えばいいのだ。
相手はもう年をとっている。
指が思うように動かないのも事実だろうし
目が以前のように見えないのも事実だろう。
先日の結婚式の身内でのまかない。
叔母は、以前、祖母が洗ったはずのお皿を洗いなおしていた。
コドモだった私にはその記憶がある。
その叔母のお皿が、私には汚く思えた。
こうして、人間は年を取っていくのだな、と感じた。
いつか、私のお皿を汚いとみなが感じるようになるのだろう。
汚いと感じた人間が、黙ってきれいにしたらいいだけのことだ。
老いはどうしようもないのだから。
指摘しても、若返ることはない。↓
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