日本橋の区域界を歩く
写真:純子稲荷 

妙なテーマだが、意外と拾い物があった。
そもそも区域界は、昔の土地の状況を知るのに良い。
東京なら、お堀が存在していた時代から町名は決まっている。
区域界が、スパっと切れていない場所、曲がりくねったところは、
今はなくても昔はそこに何かがあった痕跡なのだ。
大抵は、川であったりお堀であったり大名屋敷であったり。

こういうところは私の得意分野。
昔の職業病みたいなものだがw

歩いていてみつけた純子稲荷、元和2年(1616年)か
元文2年(1737年)かはわからないが、古いことだけは確かw
当然切り絵図にも載っていて、このあたりから彼は稲荷フリークに
変身した。

それにしても、なぜ純子(じゅんこ)なんだろう?
当時女性の名前だったようには思えないのだが。
こんな疑問を見る者に残す。

その後、切り絵図に稲荷っぽいものを発見。
その場所には、高尾稲荷があった。
ここは薄髪に効くとのことでwますます彼は興味をもったようだ。
まだ薄いとは思えないのだけど、先のことを危惧しているのかな?w
「髪に効くんだって~」とやたらと嬉しそうだった。

その後日本橋の中洲・浜町あたりを歩き、その後神田との境を歩き始める。
「竹森橋通り」というシールがあちこちに貼ってあった。
『昔、竹森橋があったのでしょうね。』
そう私がいうと、彼が切り絵図を調べ始めた。
「橋の名前はわからないけど、すぐ近くに竹森稲荷が載ってるよ。」
行ってみると、竹森神社があった。
稲荷→神社もよくあるパターン。
(私には違いはわからないw)

その後も福田稲荷、両社稲荷があり、今川橋跡、今川小路へ。
抜け出てみると、竜閑橋のあたりだった。
このあたりの区域界は竜閑川だったのだろう。

彼の稲荷熱は、ますます強くなったように思えるw
彼からすると、髪に効能がある・・なんてやっぱりお江戸はポップだ
ということらしい。

正直なところ、神社仏閣のうち、神社系には親しみを感じる私だが
それでも、そもそもお稲荷さんというのがほとんど存在しない北海道出身なので
お稲荷さんの基本形を知らない。だから、ポップだ、とも思えないのだ。
でも、お江戸と現在、お金がかからない遊びを楽しむ点では
似ているのかもしれない。

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