しつけ

2008年8月30日
しつけ
先日バスの中に居合わせた父と子供二人の話。

新木場で錦糸町行きのバスを待っていた。
とにかく、子供たちはバスを待っていたときから、
ガマンするということがことができないようだった。

雨が降っている中、騒ぐ子供の声で不快指数は増す。
父親は、何度か“軽く”叱る。
でも、子供たちは全く言うことをきかない。

ようやく来たバスの中でもうるさかった。
退屈なのはわかるが、疲れた勤め人が乗っているバスの中で
停留所から次の停留所までの間中、ただひたすら数を数える。
それも、大きな声で。

「イチ、ニィ、サン・・・・ハチジュウイチ、ハチジュウ・・・」

・・・勘弁してよー。
早く帰りたい気持ちに拍車がかかるような空気が
バスの中に充満した。
数える声を聞いているだけで、疲れが増す。
声が大きくて、聞こえないふりもできない。

父親は、「大きな声を出しちゃダメ。」
とは言うものの、子供たちには効果がない。
彼らが降りるまで、その数える声がバスの中に響いていた。

“しつけ”って、なんだろう?
家の中で同じ状況になった場合、親が怒って言うことをきかない子供に
今は、どう対処しているのだろう?

私の家なら、すぐにたたかれた。
同時代の子供で、悪いことをしたら、ご飯抜きw
と脅された家もあったらしい。
あるいは、家の外に出されてしまう
「もう、うちの子じゃない、でていけ。」
と言われて。

そんな叱られ方は、当たり前で、
他人に迷惑をかけたら、こんなに怒られるのだ、と
身にしみたのだ。

今、バスの中で、騒いでいる子供をたたく親がいたら
「暴力」だの「虐待」だのと、騒ぎ立てるオトナが現れるのだろう。
叱るのは暴力ではない、と思うのだが。
まぁ、私はたたかれて育ったので、そのあたりはわからない。
が、ご飯ぬき、なんてことになれば、虐待だと通報されそうだ。

たたいたり、ご飯ぬきの叱り方が、適切かどうかは問題もあるが、
言ってきかないコドモを止められない親が多すぎる。
親は友達じゃない。
親が教えるのは、コドモが今後生きていくための方法で
社会のルールはその一つだ。
虐待が問題になるのは、叱る基準が
社会のルールではなく、親自身のルールになっているから
いけないのだろう。

私だって、怒られたとき、理不尽だ、と思ったこともあった。
それは、まだやってもいない出来事に対して
やっちゃだめよ、と人前でこっそりつねられたことだ。
やっていない事に対しての罰は、理不尽で納得がいかなかった。
(だから今でも覚えているわけだがw)

とにかく、その父親は、普段でも子供を叱れずにいることだけは
わかった。
父親が怒ったって、言うことをきかない子供。
他人が怒れるはずもない。

・・・ものすごく迷惑です。

************

新木場は、2回歩いて通ったが、2回とも駅前のコンビニの前で
酒盛りが開かれていたw
イスはコンビニの横に積んであるビールなどのケース。
灰皿は3箇所に、もともとおいてある。
ガード下なので、雨天でも大丈夫。
みんなチューハイを飲んでいた。
2組いた。
でも、だからといって、ガラの悪さは感じない。

そして、すぐ近くの東雲駅のコンビニ前でも、
やはり酒盛りが開かれていた。
ここは1組。
土日だったからこんな程度で、平日はもっと活気があるのかもしれないw

なんとなく、新しい“東京”をみつけた気分。
日本式オープンカフェテラスなんて、こんな風に存在していたのだ。
新橋や浅草は、テーマパークなのでw、お値段は高い。
でも、ここではコンビニの価格。
観光の人間もいない。
赤提灯もない。
仕事の後に、軽く一杯、まさにそんな世界。

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