大門通り
2008年7月28日
「よしわら」があった場所について調べていたら、2箇所をつなぐ道
があったようで、それは親不孝通りと呼ばれていたようだ。
九州じゃないけどw
それで、大門をつないだ通りを歩いてみることにした。
こんな話になったのも、私が意外とよしわらに詳しかったせいかもしれない。
少なくとも彼よりも身近に感じていた。
よしわらと言っても、かなり北の方のものだけどw
そもそも私が高校時代に下宿した家は、連れ込み旅館の成れの果てだったのだ。
このことを下宿の契約をした両親は、今も知らないだろうw
でも、住むにつれて違和感はあった。
入り口に残る妙なアーチ。
自分の部屋の入り口にある番号。
そして、下宿生の部屋それぞれにある床の間。
普通の家で、二階すべての部屋に床の間があるって
よく考えるとへんなことだと思う。
おばさんは言った。
「そうよ、昔は連れ込み旅館をやっていたのよ。」
暗さもみじんもないw
近くにはススキノという今でも有名な場所があって、
少しそこからはずれたあたりに古いよしわらがあったのだ と聞いた。
ススキノは今でも花魁道中をお祭りとしてやる。(もうじきかな?)
ただ、そこで感じたのは、よしわらとホテル街というのは
別な街だと感じた。
そしてホテル街のはずれに、連れ込み旅館・・・
たぶん当時も安かったのかなw 古ぼけたわが下宿先があったわけだ。
お江戸のよしわらのように歴史はないけれど
私の歴史の中には刻み込まれている。
たぶん、ああいう生の歴史に触れたのは、はじめてなのかもしれない。
があったようで、それは親不孝通りと呼ばれていたようだ。
九州じゃないけどw
それで、大門をつないだ通りを歩いてみることにした。
こんな話になったのも、私が意外とよしわらに詳しかったせいかもしれない。
少なくとも彼よりも身近に感じていた。
よしわらと言っても、かなり北の方のものだけどw
そもそも私が高校時代に下宿した家は、連れ込み旅館の成れの果てだったのだ。
このことを下宿の契約をした両親は、今も知らないだろうw
でも、住むにつれて違和感はあった。
入り口に残る妙なアーチ。
自分の部屋の入り口にある番号。
そして、下宿生の部屋それぞれにある床の間。
普通の家で、二階すべての部屋に床の間があるって
よく考えるとへんなことだと思う。
おばさんは言った。
「そうよ、昔は連れ込み旅館をやっていたのよ。」
暗さもみじんもないw
近くにはススキノという今でも有名な場所があって、
少しそこからはずれたあたりに古いよしわらがあったのだ と聞いた。
ススキノは今でも花魁道中をお祭りとしてやる。(もうじきかな?)
ただ、そこで感じたのは、よしわらとホテル街というのは
別な街だと感じた。
そしてホテル街のはずれに、連れ込み旅館・・・
たぶん当時も安かったのかなw 古ぼけたわが下宿先があったわけだ。
お江戸のよしわらのように歴史はないけれど
私の歴史の中には刻み込まれている。
たぶん、ああいう生の歴史に触れたのは、はじめてなのかもしれない。
コメント