裁くということ

2008年5月26日
どうやら私は体が弱いらしいw
・・・彼の考えだと、こうなる。

まぁ、確かにカゼを引いたと自覚してから2週間たっても、
まだ微熱はとれないのだから、反論もできない。
「ふたつ星は、昔からこうだったの?」
うーん、そうだったときもあるし、そうじゃないときもある。
ただ、外見の印象よりはw ずっと弱いのかもしれない。

ある意味ソンなタイプだと自覚はしていた。
いかにも弱そうに見えるのなら、周囲はもっと気遣ってくれただろうし
熱があっても頑張れ、とは言われなかっただろうに。

当時、無理したって誰も無理してるのをわからないし
休んだのはせいぜい40度近くなった時だけだ。
私は丈夫、とレッテルを貼られ、その期待にこたえようとしてしまった。
今、仕事という公的なものがないと、熱もなかなか下がらないw
これが気分的なものと言われるゆえんでもあるが。
毎日彼に聞かれる体温の状況を、自分でもうんざりしてきている。

早く36度台の体温を言ってみたいもんだ。

*********

昨日のサンプロの内容で、裁判員制度は重大刑事事件(死刑判決に係わる事案)
ではなく、国家賠償訴訟からやるべき、というくだりがあった。
全面的に賛成。

そもそも、死刑判決に係わる問題をド素人に判断させるのは
今でも、どうかと思う。

素人の私からすると、さすがに重すぎる。
そして、その責務を負うにふさわしい人物を本来は
税金で雇っているのだ。
プロが出来ないって、どういうこと?

素人は、まずは、相手の命に関わる事案じゃないものから
裁判に慣れるべきだ。
日本人は裁判自体に慣れていないのだから。

ただし、国家賠償に関しては違う。
国と国民との訴訟だ。
でも、今、裁判の判定を下すのは国側の裁判官のみ。
どこにも、国民の意識とやらが入る隙間はない。
国民の意識を入れるべきなのは、まずはここだと思う。
ってか、国側だけの人員で裁判するのは卑怯でしょう。
不公平でしょう。

私も学んでいるときから知っていた。
国家賠償なんてお飾りだと。
制度は、存在するだけ。
国に勝訴できたら、それこそ、時代がかわるってなもんだ。

今の裁判員制度は、より裁判に(国側に)有利に事を運ぼうと
たくらんでいるようにしかみえない。
だって、素人が参加するわけだ。
しかもその判定は、ホンモノの裁判官の判定よりは軽視される。
これも形式だけを整えたってことで、今の不当な裁判から
目を背けさせる効果を狙っているように思えてならない。

裁判員制度は、やり方によっては
ひょっとしたら弊害しか生まないかもしれない。

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