天才

2008年5月15日コメント (1)
今日の夕食後は、音楽談義。
最近、帰宅が20時程度なので、平日も話す時間が多い。
音楽といっても、アニメの作曲家の話w

私が、ある古いアニメの曲をはじめて聴いて、
そのメロディーラインからピンときた。
『これって○○のテーマソングを作った人と同じじゃない?』
と言ったことから始まった。
彼が調べると、あたっていた。

「ふたつ星は、すごいね〜。面白い見方をするよね。」
なぁんてほめられたから嬉しくなってしまった。
(面白いって…ほめられたんだろうな、たぶんw)
『一応、作曲の“幼稚園”くらいは入学していたからね(いばりっ)。』
なぁんて言ってみたが、たぶん誰が聞いても同じ作曲者とわかるw

そこから、あれとかこれのアニメソングの作曲者は誰だ、
ということになって、どんどん調べ始めた。

かねてから思っていたのは、凡人は一種類の曲しか作れない。
秀才(努力家)は二種類の曲を作ることができる。
天才は三種類以上の曲を作る。
・・・曲の数ではない。

自分が曲を作る立場になったとき、自分の才能のなさに絶望した。
小学生だったそのときにわかったのが、このことだ。
同じ小学生でも、凡人ではないある女の子は、様々な音を作り出したのだ。
私が必死で音を作ることが、全くの無意味に思えた。
それからの私は、音は聴いて弾いて楽しむもの、
私が食べていく手段にはなりえない・・・そう自覚したのだ。

曲に限らずに、創るものはみんなそうなのかな。

調べていくうちに、ある作曲者に行き当たって、その人物が
恐らく今の音楽にものすごく影響を与えたであろうことも知って
アニメソングってすごいかもしれない、と二人で再認識した。
他の面ではおたくなところもあるが、決してアニメおたくではないのでw、
二人とも無知状態だったのだ。

『ところで、後年の天才は、先年の天才よりもさらに天才じゃないと
天才と認められないのではないの?』

私には、凡人のせいか、音楽というか、作曲が無限には思えない。
音階があり、その長さの違いの組み合わせで、人に心地よいもの
となると、限りがあるのではないだろうか。

例えば演歌という分野の曲が、みなどこかで聴いたことがあるように
思えるのは、そろそろ限界に近づいているせいなのか、と疑っている。

同じことは例えば数学でも言えるのでは?(私は文系人間なのでw想像だが)
ピタゴラスの定理を“発見”できるクラスの人は、今の時代にも多いのだろう。
でも、アインシュタインを超える“発見”ができる人しか天才とはみなされない
としたら、天才のハードルは時代とともにどんどん高くなるものらしい。

天才も大変だね。

コメント

NaNa
NaNa
2008年5月22日15:30

前に、彼とよくパチンコ屋さんに行っていたとき。台っていろいろあって、その台を作っている会社もいろいろあるんですが、そんなこと全然知らなかったときに台の前で「これって、あれによく似ているね」と彼に言ったら、「えっ?・・・・・あっ同じ会社が作ってるよ。よくわかったね。なんでわかったの?」と言われたことがありました。
よりによりってパチンコ台をだすこともないんですけれど、創るものはみんな同じなのかもしれないですね。

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