記念日に振り返ってみた
9日の日記を10日の日付で書いていたことに気がついたが
面倒なので そのままにしておくw。

☆画像は ある動物病院のにゃんこ☆

自分にとっての記念日だけど 特別な料理を作るわけでもなく
いつもと同じ。
何か欲しい物があれば買いなさい と親が入金してくれていた。
ありがたいなぁ と思う。

昔は 親のこと ちっともわからなかったし
わかりたくもなかった。
嫌い というほどの対象でもなく ただ煩わしい 
という感じだった。
尊敬している人物が両親 なんて「答え」をする人が
理解できなかった。

そんな私の認識が変わったのは 母方の祖父母の介護。
流動食しか食べられない状態で 病院食は 意外と酷だった。
食べられなくて残すのだけど 状況は変わらない。

それで 両親は ヤマイモをすって食べさせ
ナスをくたくたになるまで煮てつぶして食べさせ 
お肉が好きだった祖父には お肉は無理なので 
すき焼き風に作った汁をおかゆにかけて食べさせ。。。
もちろん 下の世話もしていたし 体もふいていたし
一日3回 病院へ通っていた。

母なら まだ実の親だから わかる。
でも 父も 母と同じことをしていた。

こんな人 そうそういるんだろうか?
仮に私が結婚したとして その相手は ここまで
してくれるだろうか?
あまりに不思議で 父に聞いたことがある。
『自分の親ではないのに どうしてそこまで出来るの?』
「自分の親に出来なかったからだよ。」

父の母(わたしの祖母)は わたしが小さい頃に亡くなっている。
父の父(わたしの祖父)は 父が転勤族だったこともあって
離れていて そして亡くなった。
一度も一緒に住むこともなかった。

自分の親に出来なかったから というだけで そこまで
出来るのだろうか。
このことから 両親 特に父への見方が変わった。

今ならはっきりと 尊敬できる と答えられる。

*********

彼は いつものように24時の帰宅。
夕食後 不眠症気味の彼は ワインも付き合ってくれた。

記念日だからこそ 振り返る。

出会えてよかった。。。
残りの人生なんて ほんの少しの時間なんだろうけれど
今までのまわりみちもひっくるめて 全部 必然だと
思えるから不思議。
実際 何かが欠けていても 今はないのだ。

彼が わたしの親の介護に参加するかどうか といえば
たぶん しないだろう と予測している。
一人っ子である以上は 誰にも助けを求められないわけで
離れて暮らしているわたしは そのときどうするのか まだ
わからない。想像も出来ない。
今はただ 親の健康を願うだけだ。
そして 親が健康であれば この毎日も続く。
ずるい考えかもしれないけれど。
わたしは この毎日が続いて欲しい。

お金は確かに大事だし ありがたい。
でも 今 欲しい物なんか 特にない。
望んでいるのは 親が健康で居てくれること。
動機は不純だけど(苦笑)。
でも それが一番のプレゼント。

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